「優しい男がいい男じゃないってよくわかったよ」 「ほっとけ」 「甘やかしてるとかだらしないんじゃなくて本当にただ優しすぎるってだけなのに、それでいい男じゃないってどんだけ優しいんだよアンタ」 「うるさい」 「別に悪い訳じゃないよ?私なんてそこに付け込んで甘やかしてもらってるから」 「自覚があるなら治せ」 「ここはひとつ不治の病ということで」 「最悪だなオイ」 「まぁいいじゃないか気にするな」 「・・・結局俺が優しすぎるのが原因かよ」 「わかってるならいいじゃないか、長所の度が過ぎてちょっと欠点に見えるだけなんだから」 「欠点ときたか」 「優しすぎるってある意味贅沢な欠点だよな、尊敬に値するよ」 「尊敬しろ」 「してますしてます」 「なんか軽いなーって何やってんだよ」 「尊敬を身体で表してみました」 「爪を噛むな爪を」 「えー」 手なら尊敬 そろそろ彼との付き合いは人生の半分になる。彼からすればあまり(というか全く)喜ばしいとは思わないが、それだけ長い間友人と呼べる間柄だということは、互いの事なら下手をすれば恋人よりも知っているだろう。彼の優しすぎる優しさから異性に向けるような好意を向けた事もあるし、身体を重ねた事もある。それでなお友人であり続けられるのだから、きっとこれからもずっと彼とはこういう関係なのだ。 男女間に友情はあり得るか否か。今まで幾度か出る話題だが、答えが出た事は今までに一度もない。 この関係が友情であるかどうかは他人には判別つきにくいかもしれない、否定されるかもしれない。別にもとより他人に理解されようとは思わない。少なくとも私と彼は、この関係を友情と呼んでいるのだ。それでいいじゃないか。 そこまで考えると思わず自嘲的な笑みが浮かぶ。明りの落ちた部屋、隣で寝ている男の額にそっと唇を寄せた。 額なら友情 「海に行きたい」 珍しく口に出してからの行動までが早かった彼女は、先のセリフを言った次の日には砂浜に立っていた。 彼女も半ば巻き込まれる形で付いてきた自分も仕事帰りだったので、二人してスーツに裸足という場違いな恰好をしている。彼女は手に持っていたパンプスとストッキングを俺の隣に置くと、波打ち際へ足を進めた。泳ぐには早すぎる季節だが、彼女はためらうことなく沖へ進む。スカートの裾が波で濡れてしまっても、砂に足を取られても、一度もこちらを振り返ることはなかった。 「帰ろう」 どれだけの時間空と海の境界線を見ていたのだろう。時計を見ると思ったより時間は経過していなかったがそろそろ帰った方がいい。風も出てきたしこれ以上ここにいると明日に支障をきたす。所詮しがない会社員なのだ。自分も、彼女も。 一度声をかけただけで大人しくこちらに戻ってくる。もう少しごねられると思ったのだが。 電灯もなく、星の少ない此処では彼女の表情は隠されていたが、頬が濡れているのまでは隠せなかった。彼女は海を見ながら声をあげることなくひとりで泣いていたのだ。 彼女が何を想っても、何を望んでも気付かない振り続ければ傍にいることが出来る。最善の方法でないと知りながら自分にはそれしかもう術がない。彼女との距離が離れることはあれど、縮まることはもうないのだろう。 自分を数歩先を歩く彼女の名を呼び、振り向いた頬に手を当て反対側の頬に唇を当てた。 潮の、味がする。 頬なら厚意 自分は酔っている。彼女は酔っ払っている振りをしている。 何度も酒の席を共にしているのだ、強さもどういう酔い方をするのかも互いに知っていた。 「酔ってるね」 「うん、だいぶ」 背にかかる体重が重い。振り返ると普段より笑みの絶えない彼の顔がすぐ目の前にあった。基本見目の変わらぬ酔い方をする彼は、一見するとそうは見えないが、自分が許した人間にはとても甘えるしスキンシップが多くなる。互いの息で髪が揺れる位近くで交わされる私たちの会話は、どう言い繕っても友人の距離ではない。ギャラリーの角度次第でキスしているようにもみえるだろう。 だから実はデキてるんじゃないかと噂されるんだ。別に構わないが。 どれだけ外堀を埋めても落とすべき城が無ければ陥落しない。心も身体も触れるくらい近くにいても、愛が無ければ交わることはない。許される距離に甘んじて自分から近付くことをしないお前は臆病者だと言われても構わない。私たちは今までもこれからも自分と相手を繋ぐものが愛情で無いことを知っているし、愛情に変えるつもりもないのだ。 だから、どんなに近くにあってもこの唇が合わさることはない。 唇なら愛情 カフェに入ると、待ち合わせの相手はすぐに見つかった。 ついさっきまで他の女性と会っていた筈なのに、その痕跡を残す様な不躾な真似はしない。私がそれを知っているのは、予定より少し早く来てしまい、ガラス越しに談笑する二人の姿を見つけたからだ。 私の関係は単なる友人だから本当なら気にしないで声をかけてもよいのだが、今、彼の目の前にいる女性は彼の恋人。二人の空間に異性の友人が現れることに彼女はあまりいい顔をしないだろう。それに、彼女は彼と私の関係を幾許か誤解している節がある。誤解されるような距離であることは否定しないが。 「色男」 「うるさい」 褒め言葉のつもりだったが、すこし意地の悪い言い方になってしまったようだで、ぎろりと睨まれた。あらかじめ頼んでおいた暖かい紅茶が運ばれくると、何も入れず口にする。少し長く外にいたからか手に持つカップがひどく熱い。 「私は、君みたく優しくはなれないわ」 人付き合いの苦手な私のそばにいてくれる、優しいひと。長い間近くにいた為、彼へ向ける感情を恋と誤解した事もある。手元の本から、こちらに視線を向けた彼がふと、笑った。 「いいじゃないか、ならなくても」 何を持ってひとは優しさを優しさと認識し、呼ぶのだろう。私は知らない。優しさを知らないのだから彼のそれは本当は優しさではないのかもしれない。 それでも、彼に助けられている事実に変わりはない。彼の視線を右手で遮る、身動きしない彼に気付かれないようにそっと身を乗り出し、自身の掌の上から気付かれないようにそっと瞼に唇を寄せた。 瞼なら憧れ 誰にも知られずに行こうと思ったのだ。 何年もかけて少しずつ。身の回りの品を整理してそれとなく回りを遠ざけて。家も解約したし通帳や印鑑もひとまとめにしてすぐに見つかる場所に置いた。今まで書いたものはすべて焼き尽くしたし本も売り払ったり人に譲った。私の全財産は今ここにあるバイクと鍵の中にあるレンタルボックス一つ分だけだ。 「どこの鍵だ」 「都内の貸倉庫。調べればすぐにわかるよ」 「旅行か?」 「まぁそんなとこ。しばらく戻らないから、それは預かっておいてくれ。向こう数年分は払ってあるから請求が来ることもないだろうし」 言いたいことを一気にまくしたてるように続ける。早くここから立ち去らなければ。最後に合うのはこの男と決めていたが、いまここで気付かれてしまえば今までの準備がすべて無駄になる。早く、早く。 「どこに行くんだ?」 「決めていない、飽きるまで世界中を回ろうと思っている」 これは本当。 自分が最後に見たい景色に出会えるまでは、という言葉を飲み込んで。 この男は私の行く末を知っているのだろう。それでも私がこれを何年も、それこそ半生をかけて望んでいたことだと知っているから何も言わないのだ。 優しい男。 「逃げるのか?」 「逃げるわけじゃあないさ」 それこそ嘘だ。ずっと逃げてきたのだ。それを気付かれないように捨てたふりをして隠し通して見つからないようにしていたのに、私はついにそれを捨てることができなかった。 「頃合いだと思ったからな」 「早いさ」 充分だ。これ以上ここにいればきっと戸惑ってしまう。引き留めてほしかったわけじゃない。ただ最後に知り合いに顔を見せるなら、残した私の過去を繋ぐ鍵を持っててほしいのは、彼だと思ったのだ。 別れ際に必ずする握手が、いつもよりも力強い。握った手を持ち上げられ、掌を胸に押し当てられた。鼓動が伝わる。ゆっくりとする呼吸で、互いの鼓動が重なる。 懇願されるように、掌に顔を当てた。 私は今日、この優しくて残酷な男を手放す。 掌なら懇願 酔っ払いの戯言だ。そう言い聞かせながら歩く速度を上げる。早く、早く駅へ。電車にさえ乗ってしまえば、駅にさえ着けばこの左手も解放されるのだ。楽しそうに笑う姿は本当にただの酔っ払いでしかないが、意識ははっきりしているはずだ、その証拠に繋がれた手はきっと振り解こうとしても離される事はないだろう。本当に酔っているのに酔っている振りをして普段なら決してしない行動に移す。この男は。さっき言った言葉だって冗談などではなく本当なのだ。私が頷けばそのまま当然のように事が流れていく。冗談だと言って笑えばそれまで。追うようなことはしない。 常識やモラルといったものに囲まれて生きるのならば、大切な人がそれを世の理のように盲信しているのだからなおさら、私たちは私たちを隠さなければならない。人からどう見られようが構わないが、大切な人を悲しませるとなると話は別だ。 いっそ離れられる強さを持っていたらどれだけよかっただろうか。互いが自分とよく似ている歪んだ価値観を持っていることを知っているのだ。理解者が欲しいわけではないが、弱い私たちは理解できる相手を離すことができない。 手首を強く握られる、首筋にかかる吐息が、互いの体温を感じる。形の良い薄い唇が、皮膚の上から頸動脈を圧迫した。我慢する事にもう耐えられない。 所詮、私も彼も本能に忠実な獣なのだ。 腕と首は欲望 私を支えてくれる友人Rへ愛を込めて |