人の生きてきた人生を塗り替えるにはそれなりの代償が必要となる。それは金であり、時間であり、思い出であり。彼女は酷く混乱するだろう。念をはじめ、記憶や所持品など生きていた証という証を全て奪ったのだから。一つだけ残ったのは街の記憶。語るとき、愛おしそうに微笑んだ姿が瞼に焼き付いて離れない。 今、その街に俺と彼女はいる。正確には半月前、正規の手続きを踏んで購入した一軒家の中の一室。彼女はベッドの上に横になり、俺は隣に椅子を持ってきて座っていた。 家の名義は彼女。 舞台は整った。後は、役者が目覚めるのを待つだけだ。 「気がついたか」 「私は、一体・・・」 「隣町で盗賊に襲われたと聞いた時には驚いた。酷い怪我だし、一週間以上眠っていたんだ」 「え、どう・・・いう」 俺に対する記憶も失っている彼女は、初対面の男に心配され戸惑いを隠せない。 「今、医者を呼んでくる」 「待って」 踵を返した俺に対し上げられた彼女の右腕は折れているので思ったように動かなかったのだろう、袖が僅かに掠れるだけだった。制止の意を汲み取り足を止め振り返る。 まっすぐに俺を見つめる瞳はあまりにも澄んでいて、自分の姿すら映っていないようで。 「あなたは、誰?」 動き出した喜劇。 「。俺を、忘れたのか?」 役者は二人、観客は一人。 「クロロ、クロロ=ルシルフル。お前の・・・」 白を、汚す瞬間。 生活に必要な知識は持っていた。酷い暴行を受けたことからの心神性記憶障害であろうと医者に告げられた。四肢を全て折られ爪を剥がれ蹴られ殴られた跡もあったが、性的暴行は受けていないとのこと。 傷は癒える、骨は付く、爪も生える、跡も思っていたより残らない。しかし失った記憶は戻る可能性はゼロに近いと言われた。覚えているのは自分の名、そしてこの街。 自分の名前も思い出せない私を彼、クロロは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。彼との関係は彼自身から聞いたが、それ以来彼はその事について触れなかった。覚えている彼が言いたくないのなら、私が改めて聞く事ではない。 ふと気付いた。それと同時に訪れる恐怖。 「クロロ」 私と世界を繋ぐものは、この街と彼しか無いのだ。 「どうした、」 ゆっくりと近付く足音、穏やかな声。私の頬に触れる手はどこまでも優しく、覗き込まれる瞳は穏やかな夜の海を彷彿とさせる。 何故だろう、頭の中の警報が鳴り止まない。 上手に嘘をつく方法は、適度に真実を混ぜることだ。 |