深夜、新宿のとある高層マンションの一室で、一つのソファに座る男と女が酒を飲んでいた。互いに視線を交わす事もせず、会話も音楽も無い静寂に包まれた空間をただ、二人は共有していた。 暫くして女は煙草を取り出した。慣れた手付きで火をつけ、紫煙をゆっくりと吐き出す。それを視界の端に捕えた男は女のほうを向き僅かに眉を潜めた。それは女がタバコを吸わない男の自室で煙草を燻らすからではない。もっと別の所に理由はあった。 「ねぇ、さん。その煙草の銘柄止めない?」 「何故?」 「解ってて聞いてるでしょ?それシズちゃんと同じ銘柄だよね」 、と呼ばれた女はまだ長い煙草を灰皿に置くと、男に上半身ごと顔を向けた。 「姉弟で違う銘柄を吸ってると手持ちが無くなった時に困るのよね。それに私、この味気に入ってるから」 「じゃあ、これを気に新しい味を試してみたらどう?いっその事軽いモノに変えるとか」 「そこで禁煙を進めない貴方が好きよ、臨也」 論点がずれた答えと共に笑むに対し、臨也の顔から諦めた様な笑みが浮かんだ。彼女の笑う顔は好きだが、それ以上の追及が出来なくなる。 別に彼女はニコチン中毒とかで煙草に依存している訳じゃないのは知っている。此処に来ると必ず一本は吸うが、二本目は吸わなかった。一度も。 以前そう指摘してやんわりと禁煙を持ちかけた事もあるが、果たして嫌味が通じているのかいないのか。 「そうね、何故かしら」 自分の事なのに他人事の様に言い、はまた笑う。臨也が何を言ったとしても、彼女は煙草の銘柄を変える事はしないだろう。 「でも俺は、さんの煙草を吸ってる姿、好きだよ」 「ふふ、ありがとう。臨也」 決して自分の思い通りにいかない。それでいて彼女に対する不快感は無い。気が付くと空気のように主張せず、静かに自分の側に居る。が、居なくなると途端に息苦しくなるという事もない。ただ、胸に穴が開いたように空洞が出来るだけだった。 それが淋しい、という感情だと気付いたのはつい最近。どうやら自分は思った以上に彼女に惚れ込んでいるようだ。 同じソファに座っていても、二人は手を延ばさなければ届かない距離にいる。その距離をもどかしく思った臨也は唐突に彼女を引き寄せ、その痩躯を抱きしめた。髪から香るシャンプーの香りとは違う、彼女の匂いがした。人ラブと声高らかに叫ぶ自分が唯一嫌う男と彼女の匂いはとてもよく似ている。それは煙草の銘柄のせいだろうか、それとも身体を流れる血だろうか。 目の前の彼女とあの男の血の繋がりを気にする事はとうの昔に止めていた。折原臨也が唯一個として愛する女、それが彼女、平和島だった。 「さん、泊まっていく?」 「いえ、今日は帰るわ」 今日は、といつもは言うが、彼女がこのマンションに泊まった事は一度もない。深夜、ふらりと訪れては酒を飲み交わし、時折他愛無い会話を紡ぐ。好きという言葉は会話の中に何度か出てきた事はあるが、どちらからも告白と呼べるような言葉は言っていない。 臨也から酒の所為にしてキスをした事が数度あった。拒まれる事は無かったが、それ以上事が進んだ事は一度も無い。彼女は必ず帰宅した。は新宿で一人暮らしをしているので深夜でもタクシーで簡単に帰宅出来る。深夜の一人歩きは危ないとか言い訳などとうに言い尽くした。 いや、一つだけ残っている。泊まって欲しいと、好きだと言ってしまえばいいのだ。しかし臨也は彼女の拒絶が恐ろしかった。恋とは、こうも人を弱くするのか。 静雄にとって姉が弱点になり得るように、臨也にとってもまた、彼女は弱点と呼ばれる可能性を持っていた。 「ねぇ、さん」 「何?」 「帰らないで」 「どうして?」 「さんと朝まで一緒にいたいんだ」 「でも、臨也は朝から仕事でしょう?」 「それでも構わない」 「・・・喜んじゃうわよ」 「そこは素直に喜んでよ」 は少しだけ目を開き、それから柔らかく笑んだ。 「嬉しい・・・」 もしかして今まで彼女が泊まらなかったのは、ただ俺に迷惑を掛けまいとしていただけなのか。それならそうと言って欲しいが、言葉少ない彼女だからこそ、何げない一言が嬉しいのだ。 下の弟の幽に似てあまり感情の起伏が穏やかで、上の弟のシズちゃんのように考えが全く読めない。確かに彼女は平和島家の長女だ。よくも悪くも弟達と似ている。 彼女にとっては限りなく低いのかもしれない。彼にとっては限りなく高いのかもしれない。 |