新宿の情報屋と呼ばれる男は人間を愛している。それも個人という単位ではなく人間という種に対してだ。そんな彼にも恋人と呼べる奇特な存在がいる。今日、波江が出勤してから一度もパソコンから目を離さない、目の前の机に座る女性がその位置に当て嵌まり、名をという。 『開錠屋』と名乗る彼女は、その名の通り錠を開ける事を生業としていた。開錠において彼女の右に出るものは今の池袋には存在しない。自転車の鍵から会社の企業秘密の入ったファイルまで彼女の手に掛かればどんなに堅牢な錠もその役目を放棄する。 そんなの仕事を波江は手伝った事が無い。それは知識的な面で手伝う事が不可能という理由からでは無く、例えばお茶汲みや書類を集めて欲しいなどという簡易なデスクワークすらは波江に頼んだ事がないのだ。今まで、一度も。 別に二人が不仲だという訳ではない。聞いたところは人間という種を愛していないらしいのだが、それに対して不便だと思った事はない。会話は成立するし、ある意味自らの雇い主よりは信用出来ると思っている。 自分の目の前にいる二人の人間は対極する感情を人間に対し持ち合わせているにも関わらず、契約といえども恋人という関係に落ち着いている。不可解だが、要は人間に対する接し方の違いなのだろう。彼女は分水域を超えなければ一般常識の範囲内で動く。少なくとも自分に仕事を押し付け目の前で退屈そうにコーヒーを飲む男よりは。 それでもが波江に何かを求めないことは変わらない事実。その代わり、彼女の要望に答えるのはこのマンションの持ち主であり波江の雇い主でもある男、折原臨也。 彼女から時折紡がれる要望に口を挟みながらも可能な限り答え、彼女が必要とする情報を何よりも優先して揃え、金銭の遣り取りを要求する素振りも見せず当然のようにそれらを渡す。その姿に初めは波江も異様な光景として捉えていたが、慣れとは恐ろしいもので今となっては特にどうとでもない。 ふと書類から顔を上げ時計を見ると丁度短針と長針が真上を指す時刻だった。この頃、臨也は波江に昼食を要求する事が多く、その場にがいる場合には彼女の分も用意する。も自分から要求する事はなくとも人の好意は受け入れる。これも最近知ったのだが、彼女は料理を全くしないらしい。 「、昼食はどうするのかしら?」 「あ、今日はいいです。ありがとうございます」 「ちょっと波江、そういうのって普通先に俺に聞かない?」 「貴方の要望は応え難いものが殆どだから、彼女に聞いた方が効率的でしょ?」 「は食べないって言ってるけど?」 「じゃあ作らないわ」 「ちょっと波江・・・ねぇ、本当にお昼食べないの?」 「・・・」 「あら、振られたわね」 「波江、最近俺に対する態度が冷たくない?」 「そうかしら、気のせいじゃない?」 しれっと言う波江に僅かに顔を歪ませながら臨也が机の中を漁る。目的の物はすぐに見つかった様で、それを持ち波江の正面で相変わらずパソコンから手と目を離さないの背後に回り込んだ。臨也はの頭部を両腕で抱きかかえ、左手を顎に回し薄く形の良い下唇に親指を当てる。僅かだが自然に開かれた口内に右手で持っていた、先程机の中から彼が探し当てたチョコレートボンボンをの唇に押し込んだ。 はというと臨也の突然の行動に強い反応は示さず、口に入ってきたチョコレートを無表情で咀嚼している。口が動かなくなるともうひと粒、口の中へ。臨也はに計三粒のチョコレートを食べさせた。 三つ目のチョコレートを食べ終えたに臨也は仕上げと言わんばかりに溶けたチョコレートで汚れている親指を彼女の唇に当てた。 何をするのだろうと思う暇も与えられなかった。は自分の指の様に臨也の指に付いたチョコレートを舐め始めたのだ。親指が終わると人差し指。は顔色ひとつ変えないし、臨也に至ってはチョコレートの代わりにの唾液で汚れていく自分の指を楽そうに眺めている。 「・・・貴方達、何をしてるの?」 波江が思わず声を掛けてしまう。一歩どころかこの状況はすでに恋人同士のいちゃつきとしか言い表わせない。見せ付けられる趣味の無い波江が眉を顰めた。 「気が付いた時にこうしてなにか食べさせないと、は本当に食事をを取らなくなるからねぇ」 楽しそうに笑う雇い主に苛立ちを覚えながら、波江は自分の仕事を続けた。この様子だと昼食はもう少し先でも問題無さそうなので、手元の書類に目を落とす。 その間もが反応しないのをいい事に、臨也は未だの背後で彼女に触れ続けていた。 頬を撫で、後ろでひとつにまとめれていた長い髪を解き、ツインテールや三つ編みにしたりと彼女で遊んでいた臨也だが、何の反応も示さないに飽きて来たようで、耳に唇を押し当て、離れる間際に何か囁いた。 途端に止まる彼女の指先、パソコンから鳴り出すエラー音。 卑怯だわ。そう呟いたは波江の方を向き、笑顔で話し掛けた。 「波江さん、今日のお昼はオムライスがいいです」 臨也に何を吹き込まれたのか知らないが、が昼食の催促をしてきた。彼女の背後の男が楽しそうに笑う。 「そういう訳だから。波江、よろしく」 憎たらしい笑顔を振りまく雇い主を無視し、波江は昼食の準備に取り掛かった。 「最悪、人前で言う台詞じゃないわ」 「いいじゃないか。君にしか聞こえないように言ったんだからね、」 背後から聞こえる恋人達の会話に興味など無い。波江にとって大事なのは二人に昼食を作る事ではなく、愛しい弟の為に料理の腕を保つ事だけだった。 |